ゴーストコンサートは本当にプリオケよりひどいのか?比較して分かった、それでも私が高く評価した理由

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『ゴーストコンサート』は、シンフォギアに続くソングバトルシリーズ最新作として注目を集めた一方で、「ひどい」「つまらない」といった厳しい評価も少なくありません。

私自身も放送前はシンフォギアのような熱いソングバトルを期待していましたが、実際に視聴してみると、その作風は想像とは大きく異なっていました。

一方で、その直前まで1年間にわたって『プリンセッション・オーケストラ(以下プリオケ)』を追い続け、全話の感想記事を書いてきたこともあり、両作品を比較しながら見る機会に恵まれました。

本記事では、『ゴーストコンサート』の欠点も率直に認めたうえで、なぜ私が世間の評価とは異なり、本作を高く評価したのかを『プリオケ』との比較を通して考えていきます。

比較項目ゴーストコンサートプリオケ
キャラクターの一貫性行間は多いが人物像はぶれにくい脚本都合で言動に違和感がある場面も
世界観・設定情報不足・説明不足が多い分かりやすいが掘り下げ不足も目立つ
ライブ演出シンフォギアには劣るが作画は良好ライブの見せ場が弱い
メタ・パロディキャラの個性として機能キャラより脚本が透けて見えることがある
テーマ性グレートゴーストの設定を活かし切れなかったテーマが拡散し最後までまとまり切らなかった
総合評価 欠点は多いが私は高く評価尺は十分でも惜しさが残った

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結論|ゴーストコンサートは欠点だらけの作品だった

結論から言うと、『ゴーストコンサート』は決して完成度の高い作品ではありません。

説明不足や情報開示の遅さ、終盤への情報集中など、視聴者が戸惑う要素は数多くありました。

実際、私自身も全話を視聴しながら「ここはもう少し丁寧に描いてほしかった」と感じた場面は少なくありません。

それでも最終的には、私にとって『ゴーストコンサート』は『プリオケ』以上に印象へ残る作品となりました。

まずは、その理由を語る前に、本作で特に気になった欠点から整理していきます。

ソングバトルシリーズを名乗ったことが最大の失敗

本作最大の問題点は、「シンフォギア」に続く「ソングバトルシリーズ」最新作を名乗ったことだと感じています。

このキャッチコピーを見れば、多くの人が『戦姫絶唱シンフォギア』のような、歌いながら戦う臨場感あふれるバトルを期待するでしょう。

私もそのひとりでした。

しかし、実際の『ゴーストコンサート』は事前収録した音源を流す形式が中心で、歌いながら戦う場面もほとんどありません。

唯一、第6話では歌唱と戦闘が同時進行する「ソングバトル」らしい演出が描かれましたが、だからこそ、あの回だけでも歌アフレコを採用していれば作品全体の印象は大きく変わっていたのではないかと思います(なんのためにラクシュミ役としてあやひーを選んだんだ?)。

皮肉なことに、「ソングバトルシリーズ」を名乗っていない『プリオケ』のほうが、真っ当に「ソングバトル」をしていました。

この点については、『ゴーストコンサート』を擁護するのは難しいというのが率直な感想です。

説明不足と情報発信も最後まで改善されなかった

『ゴーストコンサート』は、本編だけでなく情報発信の面でも惜しい作品でした。

本編で専門用語や世界観の説明が不足していることをフォローするために、放送期間中には公式Xで一部の用語解説や人物相関図などが投稿されていました。

しかし、それらの情報は公式サイトへほとんど反映されず、用語集も一度更新されたきり。

作品をより深く理解するための情報が必要にもかかわらず、それを公式サイトで体系的に閲覧できないのは非常にもったいなく感じました。

世界観が複雑な作品だからこそ、視聴者がいつでも確認できる形で情報を整理しておくべきだったのではないでしょうか。

私が最も重視するのは「キャラクターの一貫性」である

作品を評価するとき、私が最も重視しているのは作画やストーリーの派手さではありません。

それ以上に大切なのが、「キャラクターが最後までそのキャラクターらしく行動しているか」という点です。

現実の人間も、必ずしも合理的な判断ばかりするわけではありません。

しかし、その人なりの価値観や経験に基づいた行動なら納得できます。

逆に、物語を都合よく進めるためだけに人格や倫理観が変わってしまうと、一気に作品への没入感が薄れてしまいます。

この点において、私は『ゴーストコンサート』の方が『プリオケ』よりも一貫性を感じました。

ゴーストコンサートは説明不足でも人物描写は積み重ねていた

『ゴーストコンサート』も決して人物描写が十分な作品ではありません。

瑠衣や凛空の過去をはじめ、本来ならひとつのエピソードとして描くべき内容を説明台詞だけで済ませている場面も多く、全体を通して尺不足は否めません。

それでも本作は、視聴者が人物の心情や関係性を読み解くための「材料」はできる限り提示していました。

たとえば、第11話で芹亜が雪庭へ想いを伝える場面は唐突だという声もありましたが、第2話から雪庭を特別な存在として見つめる描写は繰り返されていました。

雪庭の死ついても、第11話で寿命を削る行為をしたことに加え、それ以前から戦闘や術を使うたびに身体を負担がかかっている様子や、自傷行為にも等しい無茶な修行を行っていたことは示されています。

もちろん、もっと丁寧に描いてほしかったという不満はあります。

しかし、「何も描かれていない」のではなく、「断片的な描写から読み取る余地を残していた」という点で、私は本作を評価しています。

プリオケは人物の論理が崩れることがあった

一方、『プリオケ』で私が気になったのは、キャラクターの行動を裏付ける材料そのものが不足していたことです。

もちろん、4クールの長期シリーズであるからといって、すべてを説明できるわけではありません。

しかし、本作では「なぜこのキャラクターがその判断に至ったのか」が十分に積み重ねられないまま物語が進み、「きっとこういう事情があったのだろう」と視聴者が根拠の乏しい想像で補完しなければならない場面が少なくありませんでした。

たとえば、プリンセスたちのバンド・スナッチと風花姉妹に対する対応の差について。

「バンド・スナッチと対話をしなかったことを後悔しているから、風花姉妹に対しては対話路線を取っている」とフォローすることも可能ではありますが、そう解釈できる描写や演出は本編にはありません。

私は考察そのものは好きです。

しかし、作品内に示された情報から論理的に導き出せる考察と、根拠のない想像で穴を埋めることは別物です。

後者に頼らなければキャラクターの行動を説明できない場面が多かったことは、本作の大きな課題だったと感じています。

ライブ演出はゴーストコンサートが優れていたというより、プリオケが弱かった

歌を題材にした作品である以上、ライブシーンは作品の魅力を左右する重要な要素です。

ただ、この点について私が感じたのは、「ゴーストコンサートのライブが突出して良かった」というより、「プリオケのライブが期待を下回っていた」ということでした。

ゴーストコンサートのライブシーンは及第点

『ゴーストコンサート』のライブシーンは、シンフォギアと比較すると見劣りすることは事実です。

また、個人的にはライブ衣装もあまり好みではありませんでした。

もっとも、あとから見返してみると、この衣装は第11話でグレートゴースト全員を憑依させ、オデッセウスと戦った際の姿と同じデザインでした。

そう考えると、単なるアイドル衣装ではなく、「霊能力者の存在を社会へ認知させる」という物語上の意味を持ったコスチュームだったのかもしれません。

その意図は理解できますが、それでもライブ衣装としては華やかさに欠け、もう少し魅力的なデザインにできたのではないかという印象は変わりません。

一方で、ライブシーンの作画やステージ演出そのものは安定しており、キャラクターがステージを大きく使って歌う姿には見応えがありました。

プリオケはライブそのものが物足りなかった

一方、『プリオケ』は、アイドル活動要素があるにもかかわらず、ライブシーンからあまり熱量を感じられませんでした。

もちろん、ライブがまったく動いていないわけではありません。

しかし、全体的に作画リソースの温存が目立ち、ライブの高揚感や特別感はあまり伝わってきませんでした。

特に残念だったのは、プリンセス5人が勢ぞろいする第39話のライブです。

シリーズを通して積み重ねてきた大きな節目であり、作品を象徴するライブになってもおかしくない場面でした。

それだけに、もっと大胆な演出や、記憶に残るパフォーマンスを期待していました。

女児向けアニメにおいて、ライブは子供たちの憧れや作品の華を担う重要な見せ場です。

その意味では、『プリオケ』はライブという武器を十分に活かしきれなかったように感じます。

パロディよりも「キャラクターを壊すメタ台詞」が気になった

私は作品にパロディやメタネタがあること自体は嫌いではありません。

キャラクターの個性として機能している、あるいはその場限りで消費されて物語やキャラクター造形に影響を残さなければ、それも作品の味として好意的に受け取れます。

問題なのは、メタネタそのものではなく、メタ発言によってキャラクターらしさが失われてしまうことです。

この点については、『ゴーストコンサート』と『プリオケ』で大きな違いを感じました。

ゴーストコンサートにも古いテレビネタはあった

もちろん、『ゴーストコンサート』にもコミカルなネタはありました。

主に朱莉が、「ヒューヒュー!(牧瀬里穂+桃の天然水のCM)」や「ぷんぷん!(さとう珠緒)」など、若い世代には伝わらないようなテレビネタを披露しています。

ただ、私はこれらのギャグに違和感を覚えませんでした。

第3話で「ばあちゃんを笑わせたら戦う理由を教える」と芹亜と約束し、参考資料として「履いてますよ!」を持ちネタにした芸人(元ネタはとにかく明るい安村)を教えていることから、亡き祖母の影響であることが推測できるためです。

また、『ゴーストコンサート』は歌や歴史上の偉人など時を超えて生き続ける・語り継がれるものを題材にしていることから、古いテレビネタにも何らかの意図が感じられます。

プリオケは脚本都合がキャラクターから透けて見えた

一方『プリオケ』で気になったのは、ながせのメタ発言です。

ながせはオタク気質で、古いアニメのパロディや、もし漫画やアニメの展開ならばと仮定したような言動を度々していました。

しかし、そのメタ性が必ずしもキャラクターとして一貫していたとは感じられませんでした。

「裏設定は語られないから裏設定(第9話)」「考えても分からないことは考えない(27話)」といった台詞は、一見すると彼女らしい発言にも見えます。

ですが、ことごとくほかのキャラクターの思考を中断させており、制作側の説明を避けたいという意図をながせに代弁させているように映りました。

さらに違和感があったのは、本来ならながせが真っ先に言及しそうな場面では沈黙してしまうことです。

たとえば、赤の女王を倒したあともジャマオックが現れ続ける展開に対して、ながせなら漫画やアニメ、ゲームのお約束から「真のラスボスがいるんじゃ? 魔王を倒してめでたしめでたしだと思ったら大魔王が出てくるやつですよ!」と言いそうなものです。

しかし、そうした王道展開へのメタ発言は行われませんでした。

第15話では「ヒーロー番組だと、そろそろ追加戦士が出てくるタイミングなんじゃ?」などと言っていたにもかかわらず。

つまり、「脚本上都合の悪いこと」は言わず、「脚本家が言わせたいこと」だけをメタ発言として口にしているように見えてしまったのです。

メタ発言担当キャラクターだからこそ、その発言には一貫性が求められます。

道化役として自由に振る舞うのではなく、脚本の都合によって発言する内容が選ばれているように感じたことで、私はキャラクターではなく脚本家の存在を意識してしまいました。

私が気になったのは、メタネタそのものではありません。

キャラクターの言葉ではなく、脚本家の言葉が透けて見えてしまうことこそが、作品への没入感を損なう最大の要因だったと感じています。

ゴーストコンサート最大の惜しさ

ここまで『ゴーストコンサート』を比較的好意的に評価してきましたが、本作には最後まで解消されなかった大きな課題もあります。

それは、作品のテーマと設定が十分に結び付いていなかったことです。

説明不足や情報開示の遅さも問題ではありましたが、それ以上に惜しいと感じたのは、本作ならではの設定が物語の中心になり切れなかったことでした。

グレートゴーストという設定

『ゴーストコンサート』最大の魅力は、「歴史上の偉人が抱えた業を、歌によって鎮める」という世界観です。

雪庭と零歌がMiucSを開発した理由も、グレートゴーストの業の影響によって「人を殺す歌」が生まれることを危惧したからでした。

つまり、本作は本来、「業に人はどう向き合うのか」「歌とは何か」というテーマを描く物語だったはずです。

しかし実際には、グレートゴーストの存在が物語全体を貫くテーマにはなり切れていませんでした。

私は、第12話の感想で「2クールあれば、さらに化けた作品だった」と書きました。

今でもその考えは変わりません。

ただ、あらためて振り返ると、話数が増えるだけではなく、この英霊という設定そのものを物語の中心へ据える構成になっていれば、本作はさらに独自色を出せたのではないでしょうか。

一方で、『プリオケ』も4クールという長い放送期間がありながら、「応援」や「異なる正義の衝突」といったテーマを十分に掘り下げ切れたとは言い難く、テーマ性という点では両作品とも課題を残したと感じています。

MiucSが憑依鎮魂歌の鑑賞から得たものとは

もうひとつ惜しかったのが、MiucSの描き方です。

MiucSは毎回のように芹亜たちの憑依鎮魂歌を目にしていました。

しかし、その経験を通じて少しずつ価値観が揺らいでいく過程は、あまり描かれていません。

そのため、第11話で楓たちと言葉を交わし、芹亜と憑依鎮魂歌を歌っただけで和解したように見えてしまいます。

もし各話で憑依鎮魂歌を通じてMiucSが少しずつ迷いや葛藤を見せる描写が積み重ねられていれば、第11話の和解はより納得感があったように思えます。

ゴーストコンサートをプリオケの後に見られて良かった

『ゴーストコンサート』と『プリオケ』は、それぞれ異なる長所と短所を持った作品です。

だからこそ私は、この2作品を続けて視聴できたことは幸運だったと感じています。

片方だけを見ていたら、作品に対する評価も今とは違っていたかもしれません。

もし放送順が逆だったら評価は違っていたかもしれない

正直に言えば、『ゴーストコンサート』を先に見ていたら、もっと厳しい評価を下していた可能性があります。

本作には説明不足や情報開示の遅さ、終盤への情報集中など、決して小さくない欠点があります。

実際、第6話で物語の核心へ踏み込んだにもかかわらず、その後はネロ編へ入り、本筋の進行が一時的に停滞した構成にももどかしさを感じました。

それでも最後まで視聴して感じたのは、「説明は足りなくても、作品として伝えたいことは一貫していた」ということです。

もちろん、もっと丁寧に描いてほしかった場面は数多くあります。

しかし、視聴者が行間を読み取るための材料は作品の中に残されており、「何も考えずに勢いだけで作られた作品」という印象は受けませんでした。

プリオケを見たからこそ自分が作品に求めるものが分かった

一方、『プリオケ』は1年間追い続けたからこそ、自分が作品に何を求めているのかをあらためて考えるきっかけになりました。

私が重視しているのは、設定の多さや情報量ではありません。

キャラクターの言動に一貫性があること。

作品の中に行間を読み解くための材料が用意されていること。

そして、作品が掲げたテーマと物語が最後まで結び付いていることです。

『ゴーストコンサート』は、それらを十分に描き切れた作品ではありません。

説明不足や尺不足は最後まで大きな課題でした。

それでも、少なくとも「このキャラクターならそう考えるだろう」「このテーマを描きたかったのだろう」と感じられる場面は数多くありました。

そのため、私は作品の足りない部分を作品の中に残された描写から考察することができました。

だからこそ、私は『ゴーストコンサート』を『プリオケ』のあとに見られて良かったと思っています。

もし放送順が逆だったら、私は説明不足ばかりに目を向け、「ひどい作品だった」と評価していたかもしれません。

しかし、1年間『プリオケ』を見続けたことで、自分にとって本当に大切なのは説明の量ではなく、キャラクターやテーマの一貫性なのだと気付くことができました。

『ゴーストコンサート』は欠点だらけの作品です。

それでも私が作品に求めるものは確かに持っていました。

この比較記事を書こうと思ったのも、そのことをあらためて言葉にして残しておきたかったからです。

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