第5話は、『ゴーストコンサート』という作品の「本性」が見え始めた回だったかもしれません。
これまでは、説明不足すら勢いで押し切る「トンチキ」な熱量が魅力の作品でしたが、今回はその奥にある「戦争」と「犠牲」が一気に顔を出してきました。
特に、帰路の車中で語られる凛空の過去と、TERA本部の大量死を聞かされたあとの空気はかなり重いものでした。
芹亜と一緒に、視聴者側も「TERAって思ったよりヤバい組織なのでは?」と気づかされる回だったと言えるでしょう。
その一方で、急にシリアスへ舵を切ったことで「この作品からトンチキを抜いたら何が残るのか?」という不安も少し感じました。
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今回はトンチキ回ではなくTERAの暗部が描かれた回だった
第5話は、これまでの『ゴーストコンサート』とはかなり空気が違う回でした。
廃遊園地でナイチンゲールとデュエットするという時点でまあまあ変ではあるのですが(脈絡がなさ過ぎて)、今回はその「トンチキ」の奥にある重い設定が前面に出てきます。
特に終盤は、TERAという組織の危うさと、そこに所属する霊能力者たちの歪さが一気に描かれていました。
これまでのTERAは「仲間のコミュニティ」として描かれていた
これまでのTERA茨城支部は、どちらかと言えば居場所として描かれていました。
幼いころに引き離された楓との再会や、朱莉や瑠衣との交流。
みんなでご飯を食べたり、寺で日常を過ごしたりと、4話までは疑似家族的な空気感がかなり強かった印象があります。
今回も冒頭では、芹亜たちが巫女として参拝客の対応をしており、筑波山神社らしき場所で穏やかな日常が描かれていました。
神社と寺が同居している描写を見る限り、本作世界では神仏分離・廃仏毀釈が現実ほど徹底されなかった可能性もあるのかもしれません。
上記は想像の域を出ない一方で、本作には「訪霊界の支配戦争」という明確な設定が存在しています。
TERAも政府直属の機関であり、訪霊界の占拠を目的とする組織だと第2話で説明がされています。
ただ、実際にはその「戦争」らしさは全く描かれていませんでした。
他国勢力や政治的な駆け引きが出てくるわけでもなく、軍事組織としてのTERAの輪郭もかなり曖昧でした。
そのため、私たち視聴者側の認識も「雪庭を保護者とする小さな共同体」くらいの感覚で止まっていた気がします。
第5話で急に戦争組織としてのTERAが立ち上がる
しかし第5話では、その印象が一気にひっくり返されます。
菜緒の過去を通して語られたのは、TERAによる霊能力者の収集と育成。
しかも、その過程には人身売買まで含まれていました。
さらに、一定以上の能力を持った者は実戦投入され、そこでは普通に人間同士の殺し合いも起きている。
凛空があまりにも淡々と、「まだ殺したことなかったんだっけ? 人間」
と言ってのけたのも衝撃的でした。
そして寺に戻ったあとには、TERA本部による訪霊界への大規模侵攻が成功したこと、その代わりに本部所属の霊能力者の半数が死亡したことまで明かされます。
ここで重要なのは、これらが単なる設定説明として処理されていない点です。
「TERAは危険な組織です」と視聴者に直接説明するのではなく、芹亜の認識の変化として描いている。
これまでTERAを居場所として受け入れていた芹亜が、凛空の過去や本部の大量死を知ったことで、
「あれ? この組織、思ったより危険では?」
と感じ始める。
そして視聴者側も、ほぼ同じタイミングでその感覚を共有する構造になっています。
そのため今回の第5話は、単にシリアスだっただけではなく、『ゴーストコンサート』の世界が急に戦場として輪郭を持ち始めた回だったように思います。
凛空が怖い。でも狂人とは少し違う
今回かなり印象的だったのが、凛空の過去語りです。
これまでもどこか掴みどころのない人物ではありましたが、第5話で急に「戦場側の人間」としての輪郭が見え始めました。
しかも厄介なのが、彼女は単純な狂人として描かれているわけではないという点です。
「まだ殺したことなかったんだっけ?」の異様な軽さ
今回もっとも衝撃的だった台詞は、やはりこれでしょう。
どうして謝るの? そっかあ、芹亜ちゃん、まだ殺したことなかったんだっけ? 人間
引用元:『ゴーストコンサート missing Songs』第5話
ただ、このシーンで怖いのは、人を殺したという事実そのものではない気がします。
むしろ異様なのは、その言葉があまりにも自然に出てくることでした。
もちろん凛空の口調自体は穏やかです。
声を荒げるわけでもなく、芹亜を威圧するような言い方でもない。
どちらかと言えば、「そんなことも知らなかったんだ」という確認に近い。
あるいは、聞かれたくない過去を掘り返されたことで、わずかに感情が冷えていたようにも見えます。
凛空にとって殺しは、もはや倫理的ショックを伴う特別な出来事ではなく、戦場で生きてきた経験として身体に馴染んでしまっている。
その適応の仕方が、今回かなり不気味でした。
凛空は壊れているというより「戦場に適応してしまった」
ただ一方で、凛空は完全に壊れている人物にも見えません。
菜緒を気遣い、「もう少しの我慢」と東京本部に戻るよう説得する場面には、彼女なりの優しさがありました。
芹亜に対しても、自分の過去を隠さず語っています。
さらに彼女自身、きちんと理想まで持っている。
「霊能力者が安心して暮らせる社会」
これは言葉だけ見れば、かなり真っ当な願いです。
実際、この世界の霊能力者たちは幼少期から搾取され、兵器のように扱われてきた可能性が高い。
凛空自身も、おそらくその被害者側の人間です。
だから彼女の理想には、ある種の説得力がある。
でも、その直前に聞かされているのは、
- 人身売買
- 霊能力者育成施設
- 実戦投入
- 人間同士の殺し合い
といった凄惨なものです。
そのうえで「安心して暮らせる社会を作りたい」と言われても、素直に信用できない。
むしろ、こういう地獄を見てきた人間だからこそ、極端な理想に行き着くのでは? という怖さのほうが先に来る。
彼女に対して『呪術廻戦』の夏油傑を連想した人もいるかもしれません。
単なる破壊衝動ではなく、理想があるからこそ危ういタイプの人物。
今回の凛空は、まさにそんな不穏さを感じさせるキャラクターとして描かれていたように思います。
朱莉の反応もかなり怖い
今回の終盤で地味に怖かったのが、朱莉の反応です。
凛空のような露骨な危うさではないぶん、一見すると見逃しそうになるのですが、よく考えるとかなり感覚が戦場側に寄っている。
芹亜が呆然としている横で、朱莉は別の方向を見ているのです。
「それほど重要な拠点を奪ったってことだな」
TERA本部による訪霊界への大規模侵攻が成功し、その代償として本部所属の霊能力者の半数が死亡した――
普通ならまず「半数も死んだのか」という反応になりそうな場面です。
しかし朱莉は、その報告を聞いてこう返します。
それほど重要な拠点を奪ったってことだな!
引用元:『ゴーストコンサート missing Songs』第5話
つまり彼女は、犠牲ではなく戦果として状況を理解している。
もちろん、朱莉が大量死を喜んでいるわけではありません。
むしろ彼女自身、そこまで実感できていない可能性もあると思います。
ただ、その発想が自然に出てくる時点でかなり危ういものを感じました。
凛空みたいに、戦場で壊れてしまった人間というわけではないでしょう。
むしろ、TERAという組織の論理に順応し始めている印象です。
何人死んだかではなく、その犠牲で何を得たかを先に考えてしまう。
今回の朱莉は、そういう戦う側の価値観にかなり近づいているように見えました。
第3話からすでに「戦う側の人間」として描かれていた
とはいえ、今回の反応は急に生えてきたものではありません。
振り返ると、第3話の時点で朱莉はかなり好戦的な人物として描かれていました。
怪我で戦場に出られない苛立ちから周囲に当たり散らし、「死ね」「殺す」といった言葉も口にしていた。
さらに、自分が戦えないことへの焦燥感や、強さへの執着もかなり強かった印象があります。
一方で第3話では、祖父のレコードへの想いや、「歌を取り戻したい」という動機も描かれていました。
したがって、朱莉は単なる戦闘狂ではないはずです。
きちんと守りたいものがあるし、戦う理由もある。
しかし逆に言えば、守りたいものがあるからこそ、戦争の論理を受け入れ始めているとも言えます。
第5話の反応は、その延長線上にあるものだったように思います。
今回怖かったのは、凛空のような「異常な人間」だけではなく、朱莉のような比較的わかりやすい善性を持った人物ですら、TERAの価値観に馴染み始めていることなのかもしれません。
芹亜は初めて雪庭の本心を疑い始める
今回の第5話で一番大きかった変化は、芹亜の視点かもしれません。
これまでの芹亜は、困惑しながらも雪庭のことを基本的には信頼していました。
しかし今回は、TERAの暗部や凛空たちの過去を知ったことで、その信頼に初めて疑問が混ざり始めます。
芹亜はMiucS打倒そのものは否定していない
「戦う価値はある……でも理由はそれだけ?」
引用元:『ゴーストコンサート missing Songs』第5話
今回の芹亜のモノローグで重要なのは、彼女がMiucS打倒そのものを否定しているわけではない点です。
芹亜自身、MiucSによる管理社会には問題意識を持っています。
歌を奪われ、人間の感情や創造性が抑圧されている世界なのだから、戦う理由自体は理解できる。
だから彼女は、「MiucSを壊すなんて間違ってる」とは言いません。
むしろ、「そこまでして戦う理由は、本当にそれだけなのか?」を疑い始めています。
つまり芹亜が知りたいのは、世界を救うための大義ではありません。
彼女が本当に知りたがっているのは、「雪庭個人がなぜそこまで命を削っているのか」という部分です。
ここまでの雪庭は、芹亜を助け、TERA茨城支部を率い、MiucSと戦う理由も「人類に歌を取り戻すため」と説明している。
ですが、今回TERAの現実を知ってしまったことで、その言葉だけでは納得できなくなった。
命を賭け、他人を戦場に送り込み、それでも戦い続けるには、もっと個人的で切実な理由があるのではないか。
芹亜は、そこに気づき始めた気がします。
「REIKA」で物語が「世界」から「個人の喪失」へ接続される
そして、その疑念の先に置かれたのが「REIKA」という名前でした。
書物庫で見つけたタブレット端末に刻まれていた「REIKA」の文字。
そしてアルバムに写っていた、若い頃の雪庭と親しげな少女。
このラストによって、物語の焦点が一気に変わった印象がありました。
これまでの『ゴーストコンサート』は、
- MiucSによる管理社会
- 人類から奪われた歌
- 訪霊界を巡る戦争
といった、世界規模の話として描かれていました。
しかし今回、「REIKA」という固有名詞が出てきたことで、それが急に個人の喪失へ接続される。
つまり雪庭の戦いは、単なる革命や正義ではなく、「誰かを失ったこと」から始まっている可能性が出てきました。
しかも、第5話の前半では凛空が、
和尚。あなたの本当の望みが叶うかもしれないね
引用元:『ゴーストコンサート missing Songs』第5話
もしすべて、魂の欠片を見つけられたのなら――
引用元:『ゴーストコンサート missing Songs』第5話
とも話していました。
この時点ですでに、雪庭の目的が「人類に歌を取り戻す」だけではないことは示唆されています。
ですから、今回のラストは、TERAの戦争の話であると同時に、雪庭という個人の執念が顔を出し始めた回でもあったのだと感じました。
まとめ|「ゴーストコンサートの本性」が見え始めた回かもしれない
第5話は、これまで断片的だった『ゴーストコンサート』の世界観が、一気に「戦争の物語」として輪郭を持ち始めた回でした。
もちろん、本作特有のトンチキ要素が消えたわけではありません。
しかし今回は、その奥にあった「戦争」「搾取」「犠牲」がかなり露骨に描かれていたように思います。
特に、芹亜がTERAや雪庭の正義を無条件に信じなくなったのは大きな変化でした。
一方で、今回かなりシリアス寄りになったことで少し不安もあります。
ここまでの『ゴーストコンサート』は、説明不足や勢い、妙なテンション込みで成立していた作品でもありました。
第4話の大奥攻略のような「トンチキ」があったからこそ、この作品独特の熱量に付き合えていた部分もあると思います。
そのため、第5話は間違いなく「作品のギアが上がった回」ではあるものの、同時に「この作品からトンチキを抜いたら何が残るのか?」という不安も感じさせる回でした。
そして今回の内容を踏まえると、第1話冒頭ナレーションの「これは、私がゴーストになるまでの物語」
も、かなり不穏な意味を帯び始めている気がします。
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