
第7話は、「感情を失うこと」を真正面から描きながらも、相変わらずの勢いとトンチキさで押し切ってくる、実に『ゴーストコンサート』らしい回でした。
不安を失った楓、怒りを失った朱莉の描写からは、感情が単なるノイズではなく、人を動かす原動力でもあることが見えてきます。
一方で、娘を突然投げ飛ばして除霊する楓の父や、なぜかレンブラントと始まる憑依鎮魂歌など、ツッコミどころもいつも以上に全開でした。
しかし、その雑さと勢いの奥には、「苦しみを消せば人は救われるのか?」という重いテーマが確かに存在しています。
今回はそんな第7話について、感情と人間性の関係、そして相変わらずすぎる『ゴーストコンサート』のトンチキな熱量を掘り下げていきます。
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不安を失った楓|感情は「生きる理由」でもある
第7話で特に印象的だったのが、MiucSの鎮静歌によって変化した楓の状態です。
彼女は恐怖そのものを失ったわけではありません。
しかし、「不安」を失ったことで、芹亜を想う気持ちまで希薄になっていました。
そして今回の描写は、単なる洗脳というより、「感情を失うと人はどうなるのか」というテーマに踏み込んでいたように思います。
恐怖はある。でも不安はない
訪霊界から帰還した楓は、どこか様子がおかしくなっていました。
父である西園寺 勉や葉哲に対し、楓は、
- 訪霊界で穏やかな音楽を聞いた
- 何かを奪われた感覚がある
- 恐怖心はある
- しかし「不安」がなくなった
と語ります。
恐怖心は現在の具体的な危険に対する感情である一方で、不安は「この先どうなるのか」を気に掛ける未来志向の感情です。
不安を失った楓は、「芹亜のことが心配ではないのか」と勉に問われても、穏やかに「はい」と答えてしまいます。
第6話までの楓を見ていると、これはかなり異常です。
幼い頃に引き離されてなお芹亜を想い続け、彼女に小型犬のゴーストがじゃれついただけでブチギレしていた楓が、今は「心配ではない」と言ってしまう。
不安を失い未来に対して無関心になったことで、「芹亜を助けたい」という動機そのものが薄れているように見えました。
また、楓が勉に対して「日本政府に代わって西園寺が霊能力者を統べるために、反政府組織を使ってTERAを襲撃したと勘ぐっていた」などと軽率な言葉を口にしたのも、不安を失ったことで言葉を選ぶ慎重さまで薄れていたのでしょう。
感情はノイズではなく判断基準なのかもしれない
今回の楓を見ていて、「ソマティック・マーカー仮説」を思い出しました。
人間は論理だけで判断しているのではなく、不安、恐怖、怒り、執着、といった感情によって、「これは危険だ」「これは大切だ」「これは失いたくない」という優先順位を決めている、という考え方です。
そう考えると、第7話の楓はかなり示唆的です。
彼女は理性を失ったわけではありません。
会話も成立していますし、自分の状態も客観視できています。
しかし、不安を失ったことで、「芹亜を助けなければ」という切迫感まで消えてしまった。
つまり今回の『ゴーストコンサート』は、感情は人を苦しめる。だが、感情があるから人は「何を大切にするか」を決められる。という話をしているように見えました。
不安と共に生きて行け
そんな楓を正気に戻したのが、勉のあまりにも勢いの強い除霊(物理)です。
娘を突然投げ飛ばし、「出ていけ! 俺の娘に何をする!」と怒鳴りながら娘の口をこじ開け、噴出した黒い靄を素手で殴り始める流れは、シリアスよりもトンチキさが勝っています。
ただ、この一連の流れで重要なのは、その後の勉の言葉でした。
不安と共に生きて行け。たとえ苦しくとも、お前の強さはそこにある
引用元:『ゴーストコンサート missing Songs』第7話
この台詞は第7話を象徴しています。
不安や怒りは人を苦しめる感情です。
ですが第7話は、その苦しみまで失ってしまえば、
- 誰かを心配すること
- 守りたいと思うこと
- 助けに行こうとすること
まで失われてしまうことを描いていました。
今回の楓は穏やかになったのではなく、生きる理由の一部を削られていたのかもしれません。
朱莉が取り戻したのは「誰かを守りたい怒り」
第7話の朱莉パートも、楓とは別方向から「感情を失うこと」の怖さを描いていました。
MiucSによって奪われたのは「怒り」ですが、その結果として失われていたのは、単なる激情ではありません。
今回の朱莉は、「怒り」が人を突き動かす感情でもあることを、かなり痛々しい形で見せていたように思います。
怒れなくなった朱莉は妙に穏やか
訪霊界をさまよう朱莉は、悪霊を斬り伏せながらも、どこか精彩を欠いていました。
そこへ現れたのが、のちに一ノ宮万平と名乗る大男です。
朱莉の大太刀「伊吹丸」を見た万平は、それが自分のものだと主張し、隙を突いてそのまま持ち去ってしまいます。
普通の朱莉なら、絶対にブチギレる場面でしょう。
第3話では怪我で戦えない苛立ちから周囲に当たり散らし、「殺す」「死ね」とまで口にしていたキャラクターです。
そんな彼女が今回は、「元々あいつのものか」と、追いかけることすらやめてしまう。
怒りがなくなったことで「反発する力」も失っていたのです。
誰も助けられなかった怒り
その後、朱莉はゴーストたちの集落へ辿り着きます。
そこで描かれるのは、意外なほど穏やかな生活です。
しかし、その平穏は黒い雪崩によって一瞬で飲み込まれてしまう。
朱莉は諦念に抗いながら必死に人々を助けようとします。
ですが、結局誰も救えない。
その不甲斐なさと悔しさは、朱莉の心に再び怒りの炎をともします。
黒い雪崩が去ったあと、朱莉は駆けつけてきた万平に「(伊吹丸を奪っていった)お前のせいだ」とこぼしますが、それはただの責任転嫁ではありません。
むしろあれは救えるはずの人々を救えなかったという、自責の念から来るものです。
だからこそ、万平も「そいつはどうだかな(あの雪崩ではどうしようもなかった)」と労りの言葉を返したのです。
単に「怒りを失うな」という話ではない
第7話の朱莉パートで描かれていたのは、怒りを失うと自他境界(バウンダリー)が曖昧になり、理不尽を許容してしまうということです。
朱莉が当然のような顔でゴーストの少年が持つ握り飯を奪おうとしたのも、怒りを失った影響でしょう。
怒りは人を傷つけることもある激しい感情です。
ですが同時に、
- 誰かを守りたい
- 理不尽を止めたい
- 助けに行かなければならない
という行動の原動力でもあります。
そのため今回の朱莉は、ただ単に怒りを取り戻したというより、「正義を為したいと思える自分」を取り戻したのかもしれません。
まとめ|感情を消した先に人間らしさは残るのか
第7話は、不安や怒りといったネガティブな感情を通して、人間らしさそのものを描いた回だったように思います。
楓は「不安」を失ったことで、大切な人を想う気持ちまで薄れてしまいました。
一方の朱莉も、「怒り」を奪われたことで、理不尽に抗おうとする意志そのものが弱まっていました。
しかしふたりとも、誰かを助けたい、失いたくないという感情を取り戻した瞬間に、再び前へ進み始めます。
MiucSの真の目的はまだ不明ですが、第7話ではMiucSの開発目的が「音楽につく悪意の念の排除」であったことが明かされ、それが人間の感情そのものへ踏み込み始めている不気味さを見せていました。
その一方で、突然娘を投げ飛ばして物理で除霊する楓の父や、あまりにも脈絡がなさすぎるレンブラントとの憑依鎮魂歌(なんで佐那じゃないんだよ)など、相変わらずトンチキ演出も全開です。
シリアスなテーマと雑な勢いが同居しているからこそ、本作特有の妙な熱量が生まれているのかもしれません。
感情を失えば安息が得られるのか。それとも、人は痛みごと抱えて生きるしかないのか。
第7話はそんな問いを、いつもの『ゴーストコンサート』らしい勢いのまま叩きつけてきた、かなり印象的なエピソードでした。
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