プリンセッション・オーケストラ第35話感想|予定調和の美しさと、拭いきれなかった問い

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公開日:2025年12月17日

プリオケ第35話は、風花姉妹のプリンセス化という「予定されていた到達点」を、非常に丁寧な演出で描いた回でした。

変身バンクや歌、必殺技はいずれも完成度が高く、初変身回としての満足感は確かにあります。

一方で、物語の流れや結末は王道そのもので、長くアニメを見てきた視聴者ほど既視感を覚えたのも事実でしょう。

それでも本作は、感動だけで押し切らず、どこか割り切れない違和感や問いを静かに残しました。

本記事では、その「予定調和の美しさ」と同時に浮かび上がったモヤモヤを、35話の感想として掘り下げていきます。

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予定調和の展開と、それでも残った手応え

第35話は、展開そのものだけを見れば非常に王道で、予想を大きく裏切るものではありませんでした。

だからこそ、大人の視聴者ほど「お約束だな」と感じやすい回でもあります。

その一方で、感情の置き方や細部の演出には、単なる予定調和では終わらせない工夫も確かに存在していました。

「やるべきことをやった」王道展開

正直に言えば、第35話の展開そのものはかなり予想の範囲内でした。

先行カットやこれまでの流れ、さらには商品展開まで含めて考えると、風花姉妹がこのタイミングでプリンセスになることはほぼ確定事項だったからです。

実際、物語は「説得→一度の絶望→奇跡的な救済→変身→勝利→別れ」という、長年アニメを見てきた視聴者ほど見慣れた王道の筋道をなぞっています。

そのため、私のような大人の視聴者目線では「いい話だけど、驚きは少ない」「想定通りに着地した」という感想になりやすい回だったと思います。

一方で、メインターゲットである子供たちにとっては、感情の流れが分かりやすく、安心して見られる構成でもありました。

第35話は、物語を前に進めるというより、「やるべき回をきちんとやった回」だったと言えるでしょう。

物語が「お約束」で終わらなかった理由

それでも、第35話が完全に「作業的な消化試合」にならなかったのは、いくつか引っかかる要素が確かに残ったからです。

特に印象に残ったのは、りりの感情の置き方と、トーマという存在の扱いでした。

すべてを涙と感動で押し切ったように見えながらも、設定や倫理の部分では説明しきれない違和感が、静かに残る回でもありました。

また、風花姉妹の変身・歌・必殺技バンクの完成度も高く、単なるイベント回で終わらせないだけの説得力はありました。

展開自体はお約束でも、各パーツの作り込みによって、「まあ、こうなるよね」で済ませきれない手応えがあったのは確かです。

第35話は、予定調和でありながら、完全には冷めきらない──そんな不思議な位置にある回だったと思います。

風花姉妹の変身・歌・必殺技が示した「完成度

35話でまず素直に評価したいのは、風花姉妹の変身バンク・歌・必殺技が、映像的にも演出的にも非常に完成度が高かった点です。

物語の展開自体が予定調和だった分、ここで「見せるべきものはしっかり見せる」という制作側の意志がはっきり感じられました。

ふたりでひとつの変身が生む「ニコイチ感」

風花姉妹の変身バンクは、これまでのプリンセスたちとは明確に異なる設計でした。

社交ダンスのように息を合わせて動き、互いに距離を詰めながら完成していく変身は、「二人で一人のプリンセス」というコンセプトを視覚的に強く印象づけています。

特に、腰のリボンの鍵穴に互いの鍵を差し込む演出は象徴的でした。

姉妹の関係性や依存、信頼を一瞬で伝える仕掛けとして非常に分かりやすく、同時に少しドキッとする距離感も含んでいます。深夜アニメだったら確実にチューしてましたね。

ほかのプリンセスよりもバンクが長めに感じられたのも、「新プリンセス誕生」という特別感を演出するためだったのでしょう。

歌が担った感情の整理

風花姉妹の歌「雪花繚乱」は、流麗なストリングスが印象的な楽曲で、過去を乗り越え、未来へ進むことを強く打ち出した内容になっています。

  • 「必ず取り戻していく」
  • 「二度と失くさない」
  • 「過去の答え合わせて」
  • 「もう後ろ振り返らない」
  • 「もう二度と迷わないから」

といった歌詞は、迷いを断ち切った現在地を明確に示しており、物語の中で彼女たちがすでにひとつの結論に辿り着いていることを示しています。

良くも悪くも、この歌からは、これまでの行為に対する後悔や逡巡はほとんど感じられません。

女の子のミューチカラを奪ってきた行為への痛みは、ここではすでに乗り越えられたもの、あるいは整理が終わったものとして扱われています。

もっとも、花の騎士の歌「Monochrome Eden」もまた、そうした痛みや迷いを真正面から引き受ける楽曲ではありませんでした。

あの歌が描いていたのは、後悔や償いではなく、痛みや逡巡に蓋をしたまま使命を貫く覚悟であり、苦しみを見つめ直すことよりも、前へ進む選択を肯定する内容だったと言えます。

その流れを踏まえると、「雪花繚乱」が過去への悔恨を歌わないのは一貫した構成でもあります。

見ないふりをしてきた行為そのものを認め、立ち止まるための歌ではなく「もう迷わない」と言い切るための歌――

この回で歌われたのは、感情の浄化というよりも、物語を次の段階へ進めるための感情の整理だったのでしょう。

重さや後ろめたさを引きずる役割は、この曲には与えられていません。

後悔や償いを真正面から歌う楽曲は、もし用意されているとすれば、また別のタイミングで描かれるべきものなのでしょう。

現時点では、花の騎士を含めても楽曲数はまだ限られており、その余白は十分に残されています。

展開と演出が噛み合った「お披露目回」

35話は、風花姉妹のプリンセス化という既定路線を、演出面の完成度で支えた「お披露目回」でした。

変身バンク・歌・必殺技といった要素は、単なる見せ場の羅列ではなく、物語の流れの中に自然に組み込まれています。

特に長めの変身バンク構成は、ふたりでひとつの存在であることを視覚的に伝えていました。

展開自体は予想の範囲内であっても、感情の盛り上がりと演出のピークが噛み合っていた点は評価できます。

物語を進める回というより、キャラクターと表現を一度きれいに揃える節目として、役割を果たした回でした。

りりの泣き顔が担った「感情描写としての役割」

35話でもっとも印象に残ったカットを挙げるなら、物語の山場やバトルではなく、トーマとの別れに際して見せたりりの泣き顔でしょう。

それは感情を爆発させるための涙ではなく、言葉にしきれない思いを必死に受け止めようとする表情でした。

このシーンは、35話が「めでたしめでたし」で終わった回でありながら、どこか割り切れなさを残した理由を象徴しています。

絶望ではなく、堪える涙として描かれた別れ

トーマは一度消滅した存在であり、35話での再会も恒久的なものではありません。

それでも物語は、再会と再別離を「悲劇」として強調するのではなく、静かな時間として描きました。

りりは泣き崩れることも、取り乱すこともありません。

こみ上げる感情を必死にこらえ、涙を浮かべながらも笑顔を選ぶ――その選択そのものが、りりの成長と覚悟を示しています。

絶望に押し潰される涙ではなく、別れを理解した上でなお前を向こうとする涙だったからこそ、この場面は過剰な感動演出にならず、静かな余韻を残しました。

「これからもよろしくね」に込められた意味

別れ際にりりが口にした「これからもよろしくね」という言葉は、非常に曖昧で、だからこそ印象的です。

トーマは「オイラはいつだって、ふたりのそばにいるよ」と語りますが、それが自我を保った守護霊的な状態なのか、象徴的な比喩なのかは明言されません。

この曖昧さは、消滅後のアリスピアンの意識がどうなるのかという核心的な問いを、あえて宙に浮かせています。

「死」という出来事を確定させず、意味づけを視聴者に委ねる描き方は、子ども向け作品としての配慮でもあり、同時に踏み込むことを避けた表現にも映ります。

それでも、りりの言葉が希望なのか自己暗示なのかを視聴者に委ねたことで、この別れは単なる感動シーンでは終わらず、考え続ける余地を残しました。

バンド・スナッチと風花姉妹の扱いの差という「物語倫理」

第35話を通して浮かび上がるのは、行為や動機の差以上に、誰が救われ、誰が切り捨てられたのかという結果そのものです。

バンド・スナッチと風花姉妹の決定的な違い

まず前提として、風花姉妹とバンド・スナッチは「同じ立場」ではありません。

風花姉妹は、白の女王と利害が一致した結果として利用されていた存在です。

白の女王は重要な情報を伏せ、意図を曖昧にしたまま彼女たちを動かしていました。

つまり、姉妹は「正しい選択をしていると思わされていた」側でした。

一方、バンド・スナッチが仕えていたのは赤の女王です。

赤の女王は配下に対して愛情と敬意を持ち、騙したり、都合の悪い真実を隠したりする人物ではありません。

バンド・スナッチはその在り方を理解したうえで、最後まで恩義と忠義によって行動していました。

この時点で、両者の立ち位置は大きく異なっています。

花の騎士とバンド・スナッチの共通点が示すもの

興味深いのは、花の騎士とバンド・スナッチの共通点です。

  • アリスピアを守ろうとする女王に仕えている
  • アリスピア/アリスピアンを守るため、女の子を襲いミューチカラを奪う

行為だけを見れば、彼らは同じ道を選んでいます。

それでも花の騎士は救済の余地を与えられ、バンド・スナッチは消滅という結末を迎えました。

この差は、行為の一貫性ではなく、「誰を物語の味方として扱うか」という線引きが先にあり、
その後から倫理づけが行われた結果だと言えます。

プリンセスは「無罪」になるのか、それとも向き合うのか

現時点では、バンド・スナッチの消滅がプリンセスの攻撃によるものではないと確定したわけではありません。

しかし、

  • 消滅はアリスピアン自身のミューチカラによる自壊
  • 直接の死因はプリンセスではない

という整理が可能な材料は、すでに揃っています。

物語がそれを「使わない」理由はありません。

このアリバイを用いれば、穢れなきヒーローとしてのプリンセス像を維持できます。

逆に、それでもなお「バンド・スナッチを消滅させた事実」と真正面から向き合う展開が来るのであれば――

その瞬間、評価は掌返しからの拍手に変わるでしょう。

正義はどこに置かれているのか

この違和感は、35話で突然生まれたものではありません。

プリンセスたちがヒーローとして敵と戦う物語である以上、誰と戦い、誰と対話するのかという線引きは、シリーズを通して問われ続けてきました。

実際、25話の感想で私は次のように書いています。

相手の種別や見た目によって態度を変えるのなら、それは「正義」ではなく「情」の問題に過ぎません。

赤の女王にも、バンド・スナッチにも、確かに理由があった。

それでもプリンセスたちは「ダメです悪は許さんです」と戦い抜いたのだから、次に人間の少女が敵として立ちはだかったときも、同じ覚悟を見せてほしい――

ここで求められているのは、優しさではなく「一貫性」です。

誰に対しても同じ線引きを貫けるかどうか。

それが、プリンセスたちが「正義」であり続けるための試金石になるでしょう。

正直に言えば、3クール目の展開は、このときの懸念がそのまま形になってしまったようにも見えます。

バンド・スナッチは最期まで赤の女王への忠義と恩義で動き、消滅という結末を迎えました。

一方で風花姉妹は、白の女王に利用されていた存在として、対話と救済の側に置かれています。

えこひいきでも物語は成立します。

「同じ学校の先輩とその妹」という関係性が、対話路線を成立させているのも事実でしょう。

しかしそれを正義と呼ぶかどうかは、また別の問題です。

本編で「正義」という言葉を明確に口にしているのは、実はベスだけです。

その正義も決して哲学的なものではなく、「我々が正義なら、それに敵対するお前たちは悪だ」という、極めて直線的な論理に基づいています。

それでも、作中で正義を言語化しているのが彼だけだという事実は、重く受け取るべきでしょう。

35話は、風花姉妹の物語としては美しく、感情的にも丁寧に着地した回でした。

しかし同時に、プリンセスたちの正義が、誰に対しても同じ形で向けられているのかという問いを、改めて視聴者に突きつける回でもあったと思います。

この問いに正面から向き合わない限り、優しさはいつか「情」へとすり替わり、正義は都合のいい言葉になってしまう。

35話は、その危うさを静かに示した回だったのではないでしょうか。

まとめ|予定調和の美しさと、拭いきれない問い

第35話は、風花姉妹の変身・歌・必殺技を中心に、演出面では高い完成度を見せた回でした。

りりの泣き顔に象徴されるように、感情表現も丁寧で、王道展開としての満足感は確かにあります。

一方で、バンド・スナッチと風花姉妹の扱いの差は、物語の倫理として見過ごせない違和感を残しました。

対話と救済が成立した理由が「情」によるものだとすれば、プリンセスたちの正義はどこに置かれているのかという問いが浮かび上がります。

美しく終わったからこそ、この割り切れなさをどう回収するのかが、今後の物語に強く求められていると感じました。

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