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トライガン・スタンピード第12話(0話)感想|終わりにして始まり

※この記事にはプロモーションが含まれています。

プラントに作り替えられ自我を失うヴァッシュ。

懐胎の兆しを見せ始める「彼女たち」。

人類滅亡へのカウントダウンが始まる中、それでも諦めずメリルはヴァッシュに呼びかけた。

その声は、夢裡のヴァッシュの手中で赤いゼラニウムとなり、レムの記憶を呼び覚ます。

自我を取り戻したヴァッシュは、静かにナイブズに銃口を向ける。

「もう、終わりにしよう――」

というわけで、『TRIGUN STAMPEDE』第12話(0話)「HIGH NOON AT JULY」の感想です。

  • 原作は終盤のみ読んでいる
  • 旧アニメはリアルタイムで見たり見なかったり
  • 大まかな設定やヴァッシュの正体などは把握
  • 細部は全然知らない

という中途半端な人間が執筆しております。

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『TRIGUN STAMPEDE』#0 HIGH NOON AT JULY 感想

画像引用元:https://youtu.be/aoBq1bQ5JXA

#0 HIGH NOON AT JULY
放送日 3月25日
絵コンテ 武藤健司
演出 
武藤健司

夏アニメが始まる前に書き終えられてよかったです。

5月10日に開催される、ニコニコ動画での「トライガン・スタンピード」一挙放送までには投稿する。

と心に決めたものの、見事に書けませんでした(上記の「放送日 3月25日」から目を背けつつ)。

いまさら「祝! 完結編制作決定!」なんてキャッキャするのも白々しいので、これまで以上の与太話になっております。

第12話(0話)の感想は、以下の四つに分けて記述しました。

「コレじゃない」から「コレ」になる

レムの守護と導き、そしてメリルの懸命な呼びかけによって復活したヴァッシュ。その姿は……

トンガリ!? トンガリやないかいトンガリ!!

原作や旧アニメでおなじみの、あの特徴的なツンツンヘアー!

スタンピードのヴァッシュを見て「コレじゃない!」とお嘆きだった方も、これには大満足だったのではないでしょうか。憎い演出ぅ!

「ゲート」を収束・圧縮したキューブの争奪戦の最中の口論で、ヴァッシュはナイヴズに名乗ります。

「僕は、ヴァッシュ・ザ・スタンピードだ……!」

目に涙を滲ませて微笑むヴァッシュの横顔が、原作ヴァッシュの面差しだったのが印象的でした。

「トライガン・スタンピード」は、「ヴァッシュ・ザ・スタンピード」が誕生するまでの物語だったんですね。

夜の「真昼の決闘」

サブタイトルの「#0 HIGH NOON AT JULY」は、

星暦0104年07月21日13時06分――

第3都市ジュライ消滅から11時間

引用元:トライガン第1巻 (ヤングキングコミックス) 

から始まる、原作第1巻に収録されているエピソードのタイトルでもあります。

ヴァッシュの髪型と言い、原作の0話をアニメの最終回に持ってくるのと言い、本当に憎さ百倍ですね(?)。

また、単に原作のタイトルを借用しただけでなく、さまざまな意味が込められています。

「HIGH NOON」と言えば、真っ先に思いつくのが西部劇の『真昼の決闘』。

町の人間に協力を拒まれた保安官が、孤独に悪漢と戦う映画です。

わざわざアバンで幼いナイヴズに「西部劇みたいだな」と言わせているあたり、『真昼の決闘』を意識していると思われます。

エピローグ以外はずっと夜やったやないかい、なにが『真昼の決闘』やねん。

と、お思いの方もいらっしゃるでしょうが、旧アニメの最終回は、蒼穹の下でヴァッシュとナイブズが一対一の撃ち合い――まさしく「真昼の決闘」だったのです。確か(あいまい)。

そして最終回は第12話ですが、公式の表記は0話。

High noon――正午は12時とも0時とも表記します。

ダブル、トリプル、クワトロ……なにミーニングだ!

最終回のサブタイトルは「HIGH NOON AT JULY」以上にふさわしいものは考えられませんね。

ナイヴズの自他境界

前回11話の感想で「『プラントに魂を宿らせる』とはどういうこっちゃ?」

とうんうん唸っていたのですが、蓋を開けてみれば「プラントを強制妊娠させてインディペンデンツを生ませる」でした!

現存しているプラントに自我を持たせるんじゃなかったの!?

少なくともメリルはそう解釈していたと思うのですが……とんだミスリードだぜ。

インディペンデンツはプラントの処女懐胎によって生まれる存在です。

確かにプラントを妊娠させれば、生まれてくるインディペンデンツにはもれなく魂――自我が宿っています。

ですが「彼女」たちは? ただの子宮扱い? 強引に妊娠・出産させるのは、プラントを生産ユニットとして利用する人間とどう違うというのでしょう。

ナイブズはプラントを「同胞」と呼んでいましたが、対等の存在として尊重しているようには見えません。

そして極めつけは、ナイヴズが最期に放った台詞。

「ナイは死んだよ。お前が……殺したんだ」

薄々「あれっ、こいつもしかして……」と感じていましたが、上記の台詞で確信を得ました。

こ、こいつぁ……自他境界ガバガバ太郎だああああああ!

自他境界とは

「自他境界」あるいは「境界線バウンダリー」とは、書いて字のごとく「自己」と「他者」との境界線のこと。

分かりやすく言うと、相手に「NO」を伝え、相手の「NO」を受け入れる力です。

主な境界線問題は、以下の四つが挙げられます。

  1. 迎合:悪いことに「YES」と言う(「NO」が言えない)
  2. 回避:良いことに「NO」と言う(他者の支援を拒絶)
  3. 支配:相手の「NO」を受け入れない
  4. 無反応:相手の「NO」に耳を貸さない

「迎合」タイプかつ「回避的」タイプの人も数多くいますし、支配的な「迎合」「回避」タイプも存在します。

ヴァッシュの「NO」を受け入れず境界線を蹂躙したナイヴズは、満場一致で「3」の「支配」タイプ。

罪悪感を揺さぶって他者の心の隙に付け入ろうとするのは「支配」タイプの常套手段です。

最愛の弟すら支配してインディペンデンツ生産工場プラントの部品にするくらいですから、自我のないプラントならさもありなんですね。

ちなみに自他境界に関する参考資料は、以下の書籍です。

「聖書が語る人間関係の大原則」と、サブタイトルの宗教臭さがすさまじいのですが、「近代的自我」は「プロテスタント」によって確立しました。

むしろキリスト教や聖書に言及せず「(近代的)自我」を語る方がよほどスピリチュアルでしょう。

上記の書籍『境界線バウンダリーズ』は、「迎合」「回避」タイプが、「支配」「無反応」タイプから身を守る術について書かれたものです。

しかしながら「支配」タイプへの示唆にも富んでいます。

支配タイプと「責任」

「支配者」の境界線問題は、自分の「責任」を他者に投影する傾向にあることです。

ではナイヴズがヴァッシュに押し付けている「責任」とはなんなのでしょうか。

人は「他者に対する責任」と「自分自身に関する責任」のふたつを負います。

  • 他者に対する責任:誰かに手を差し伸べること
  • 自分自身に関する責任:自分の言動や感情のコントロール

前者はひとりで抱えず皆で分け合うべきもの、後者はひとりで抱えるべきものです。

ナイヴズは、自分自身に関する責任を「分け合うべき責任」として、ヴァッシュに投影しているのです。

他者に助けを求めることと、自分の感情を相手に押し付けるのは別物です。

自分の感情は自分で面倒を見なければならない。

シナーズのテスラに対する鬼畜の所業に恐怖や怒り、憎しみを覚えるのは至極真っ当ですが、それらはナイヴズ自身が生み出した感情であって、ヴァッシュや「彼女たち」のものではありません。

さらに言うなら、シナーズや人類の責任でもない。

もちろん、シナーズは罪を贖うべきであり、人類は「プラントに対する責任」を負っています。

しかし、それでも人類には「ナイヴズの感情に関する責任」はないのです。

――まあ、無茶言うなよ、って話ですが。

むしろ、ヴァッシュの「境界線」が堅牢すぎて怖い。

メンタルが異次元過ぎてもはや恐怖ですよ。

ヴァッシュとナイヴズ、どこで差がついたのか

レムに分け隔てなく育てられ、同じものを目撃した双子。

にもかかわらず、ヴァッシュとナイヴズの境界線の発達は正反対となりました。

その原因は、もちろん慢心などではありませんが、環境は大いに関係があるでしょう。

最終話でヴァッシュは涙ながらに「いつから、僕たちはこんなにも違ってしまったんだろう」と嘆きますが、悲しいかな、生まれ落ちた瞬間からふたりは違っているのです。

生まれ持った性格ももちろんありますが、個人的には、食事と睡眠の精神的影響が大きいのではないかと考えています。

ヴァッシュは人間のように食事や睡眠が必要ですが、ナイヴズには食事も睡眠も必要ありません。

これは「嗜好として摂れるけど摂らなくても平気」ではなく「睡眠や食物を摂る機能が備わっていない」のです。

人前では食事を摂るふりをするよう、レムは普段からナイヴズに口酸っぱく言っている……であろうと見て取れる場面が11話で描かれていました。

食べようと思えば食べられるのでしたら、わざわざ「ふり」なんてする必要はありません。

食物の摂取ができないのなら、同様に、寝ることもできないと推測されます。

3人きりの閉ざされた世界で、独りだけ特殊な力を持ち、寝食を共にすることもできない。

その孤立感と孤独な時間が、ナイブズの精神的な発育に影を落としたのではないでしょうか。

世界は安全じゃない ナイヴズの恐怖と敵意

自他境界は、「NOを言っても見捨てられたり攻撃されたりしない、自分のことを尊重してもらえる」という信頼と安心の中で育まれます。

トラウマが自他境界の形成に深刻なダメージを与えるのは、子供の発達の基礎となるそれらの「前提」を揺るがすためです。

皮膚・細胞膜・尊厳。境界という境界が侵されたテスラの姿は、幼いナイヴズの「前提」を破壊しました。

世界は安全ではないし、自分の意志など尊重されない。いずれ自分もテスラのようにすべてを蹂躙される。

人知れず精神的な脆さを抱えていたであろうナイヴズは、レムへの信頼より、その他大勢の人類に対する恐怖が勝ってしまったのです。

不安や敵意に晒されて怯えた子供は「NO」を言うことも聞くことも難しくなります。

また、敵意に対して怒りで抵抗して、敵対者によく似た支配的な人間に成長する場合もあります。

ナイヴズはまさしく後者でしょう。

プラントをインディペンデンツを生む機械扱いし、人間に「戦争」を仕掛けるさまは、ナイブズが憎む人間そのものです。

ナイヴズは救済されるのか

ナイヴズが自他境界を確立して救済されるには、人間を赦すしかありません。

赦すとは、人間への憎しみだけでなく、過去の自分の救済も手放すことです。

たとえ神の如きインディペンデンツでも過去を変えることはできません。

いやでもさあ、そうは言ってもさあ。

双子の弟に「人間を信じよう」と言われて傷ついた顔をしたあの子が救われないのは遣る瀬無いです。

木陰で本を読む幼いナイヴズの「人間は同じ悲劇を繰り返す~」という長台詞は、要約すると「人間怖い」。

それに対して「そんなことないよ」と返すのは、良くも悪くもヴァッシュらしいです。

ホントそういうトコだぞ。

幼いヴァッシュの顔にも憔悴が表れていたので、悩みに悩んだ末の結論だったのでしょうけど。

しかし、ナイヴズからすれば「オレの知らないところでレムとヴァッシュがふたりでなんか育んでた……」と疎外感増し増しです。

罪悪感を揺さぶる言動は「支配」タイプの常套句だと上述しましたが、それは支配者の悲しみや心の傷の裏返しでもあります。

「ナイは死んだよ。お前が……殺したんだ」

という台詞は「お前の言動に散々傷ついてきました」というナイヴズの告白です。

ナイヴズは呪詛と決意を残して消し炭と化しましたが、果たして完結編で彼の過去は救済されるのでしょうか。

なんか私めちゃくちゃナイヴズが好きな人みたいになってますけど、私はナイヴズが好きなんですか!?(知らんがな)

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