プリンセスフェスティバルに向けて物語が動き出したプリオケ第38話は、表面的には前向きな進展が描かれた回でした。
風花姉妹とみなもたちの距離も、確かに以前より縮まっているように見えます。
それでも、ラストでりりが口にした「許してもらっても」という言葉が、どうしても心に残りました。
その一言は、これまで描かれてきた関係性や葛藤の前提を、静かに揺さぶるものだったように思います。
本記事では、プリオケ第38話で感じた違和感を手がかりに、この回が示した構造について整理していきます。
第38話は「構造を変えないまま次へ進もうとした回」だった
第38話は、37話まで続いてきた風花姉妹と主人公側の距離感を大きく揺さぶることなく、物語を次の段階へ進めようとする回でした。
プリンセスフェスティバルというイベントを軸に、「一緒に歌う未来」を提示しながらも、これまで提示されてきた問いそのものが、静かに別の形へ移行していきます。
プリンセスフェスティバルを軸に進む物語
まつりが企画したプリンセスフェスティバルを実現するため、みなもたちはステージでのライブに向けて準備を進めていきます。
日常パートでは、イベントに向けた前向きな空気が描かれ、物語全体も祝祭的な方向へと動き出している印象を受けます。
一方で、風花姉妹は依然として主人公側とは距離を保ったままです。
物理的にも心理的にも、彼女たちはまだ「輪の外」に立っています。
風花姉妹と向き合う役割を担うなっち
この回で風花姉妹と直接向き合い、話し合いを重ねているのはなっちです。
彼女は、プリンセスフェスティバルをきっかけに、風花姉妹がみなもたちと手を取り合えるよう願い、5人のプリンセスのために曲を作ります。
ただしその曲は、なっち自身が歌うものではありません。
あくまで「5人のための歌」として差し出され、彼女は一歩引いた立場に立ち続けています。
戦闘と協力がもたらした一時的な接近
白の女王の介入により、プリンセスフェスティバルの会場にはジャマスナークが出現します。
戦闘では、リップルたちにヴィオラとネージュが加わり、共闘という形が描かれました。
この場面では、風花姉妹が主人公側と同じ方向を向いて戦う姿が示され、関係性が一歩近づいたようにも見えます。
しかしそれは、明確な言葉や約束を伴うものではなく、状況によって生まれた一時的な協力に留まっています。
「自分を許す」問いから、「許してもらう」問いへ
物語の終盤で印象的だったのが、りりの台詞です。
なっちの曲を聴いたあと、すみれの「一緒に歌いたいよね」という言葉に対し、りりは
うん……歌いたい。だけど、いいのかな。私たち、許してもらっても
引用元:『プリンセッション・オーケストラ』第38話
と答えます。
ここで提示されたのは、36話でもなっちが言及した「自分で自分を許せない」という葛藤とは、少し異なる問いでした。
第38話は、問題を解決したわけではありませんが、問いの向きそのものが、静かに変わり始めた回だったと言えるでしょう。
なっちに集約されていく「ケア役割」の歪さ
第38話で最も強く印象に残るのは、風花姉妹との関係修復に関わる行為のほとんどが、なっちひとりに集約されている点です。
それは偶然ではなく、物語上の役割分担として明確に描かれています。
風花姉妹に寄り添っているのは誰だったのか
プリンセスフェスティバルに向けた準備の中で、風花姉妹の感情に直接向き合い、言葉を交わしているのはなっちだけです。
36話からから一貫して、彼女はりりの不安や恐れに気づき、そばに立ち続けていました。
第38話でも同様に、「一緒に歌う未来」を示しながらも、無理に答えを迫ることなく、風花姉妹の逡巡を受け止めています。
ケアという行為そのものは、丁寧に描かれていると言っていいでしょう。
「5人のための曲」が示す一歩引いた立場
しかし同時に、なっちは自分自身をその輪の中には置きません。
彼女が作った曲は「5人のプリンセスのための曲」であり、自分が歌う選択肢は最初から排除されています。
これは自己犠牲的な美談というより、物語構造として「支える側」に固定されている印象を与えます。
なっちは関係をつなぐ媒介でありながら、当事者として舞台に立つことを許されていないのです。
主人公側が「気づかない」まま進む構図
一方のみなもたちは、なっちの働きによって関係が前進していることを、どこまで自覚しているのでしょうか。
少なくとも第38話の描写からは、その負担を共有しようとする姿勢は見えてきません。
結果として、感情の調整や葛藤の受け止めはなっちに任され、主人公側は「待つ」「受け入れる」という立場に留まります。
この非対称な構造が是正されないまま、物語だけが次の段階へ進もうとしている点に、違和感が残ります。
善意であるがゆえに見えにくい問題
この構図が厄介なのは、誰も悪意を持っていない点です。
なっちは自発的に動き、主人公側も拒絶しているわけではありません。
それでも、ケアの役割を一人に押し付けたまま物語を進めることは、関係性の歪みを温存したまま肯定してしまう危うさを孕んでいます。
第38話は、その問題がよりはっきりと可視化された回だったと言えるでしょう。
「許し」をめぐる問いは、いつの間にすり替わったのか
第38話のラストで提示された、りりの一言。
この台詞によって、風花姉妹が抱えてきた問いの質は、それまでとは別のものへと静かに変わってしまいました。
「自分で自分を許せない」から始まった物語だったはず
風花姉妹がふたりきりで戦い続けてきた理由は、一貫して「自分で自分を許せない」という内面的な葛藤だったはずです。
36話のなっちもそれを指摘しています。
たぶんさ、こっちがどう思ってるかじゃなくて、向こうが自分で自分を許せないんじゃないかなあ
引用元:『プリンセッション・オーケストラ』第36話
だからこそ彼女たちは、他者に受け入れられるかどうかとは距離を取り、まずは自分たちの責任を引き受けようとしていたのではないでしょうか。
この姿勢は、誰かに罰を与えられたからでも、誰かに許されたいからでもありませんでした。
あくまで、自分自身との折り合いの問題だったはずです。
「許してもらっても」という言葉が示した転換
しかし第38話ラストで、りりはこう口にします。
うん……歌いたい。だけど、いいのかな。私たち、許してもらっても
引用元:『プリンセッション・オーケストラ』第38話
ここで問いは、「自分をどう扱うか」から、「誰かに許されていい存在かどうか」へとすり替わっています。
これは小さな言い回しの違いに見えて、実は決定的な転換です。
許しの主体が、自分自身から他者へと移動してしまっているからです。
誰の許しを求めているのかが曖昧なまま
さらに問題なのは、その「許し」を誰に求めているのかが作中で明示されていない点です。
みなもたちは一貫して「気にしていない」という態度を取り続けており、明確な加害—被害の関係を結んでいるわけでもありません。
それにもかかわらず、「許してもらう/もらえない」という構図だけが前に出てくることで、風花姉妹の葛藤は、他者の評価を待つ状態へと押し出されてしまいます。
これは、自分の責任を自分で引き受けようとしていた姿勢を、かえって弱めてしまう描写でもあります。
贖罪が「許可待ち」になってしまう危うさ
もし贖罪や覚悟が、「誰かに許してもらうための行為」になってしまうなら、それは本来の意味での責任の引き受けとは異なります。
他者からの承認がなければ前に進めない構造は、当人の主体性を奪ってしまうからです。
第38話で描かれたのは、風花姉妹が前に進もうとする兆しであると同時に、その進み方が、いつの間にか他者依存の形へと傾き始めている瞬間でもありました。
この変質が意図的なものなのか、あるいは無自覚なすり替えなのか。
少なくとも現時点では、我々視聴者に安心を与えるだけの説明は用意されていません。
まとめ|問いが変質したまま、前に進もうとしている
第37話から第38話にかけて描かれてきたのは、物語が前に進んでいる「ように見える」過程でした。
新しいイベントが始まり、関係性が少しずつ変化し、仲間になるための準備が整いつつある――表面上は、確かにそうです。
しかしその一方で、風花姉妹が背負っていたはずの問いは、静かに別の形へと置き換えられてきました。
「自分で自分を許せない」という内面的な葛藤は、いつの間にか「誰かに許してもらっていいのか」という、他者の判断を待つ問いへと変質しています。
この変化は、必ずしも間違いだと断じられるものではありません。
誰かと手を取り合う物語において、他者との関係性が重要になるのは自然なことです。
ただ、その過程で、責任や覚悟の主体が曖昧になってしまっている点には、見過ごしがたい違和感が残ります。
第38話時点の物語は、問いに答えたというよりも、問いの形を変えることで前進しているように見えます。
それが救済へとつながるのか、あるいは別の歪みを生むのかは、まだ分かりません。
残された尺の中で、この変質をきちんと引き受け、物語として言葉を与えることができるのか。
第37話・第38話は、その分岐点に立っている回だったように思えます。
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