プリンセッション・オーケストラ第28話感想|「素顔のままで」すみれが示した、プリンセスとの決定的な違い

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プリオケ第28話「素顔のままで」は、すみれが自らの正体を明かし、プリンセスたちと対峙する衝撃の回となりました。

図書館で見せた穏やかな微笑みが消えた瞬間、そこには、アリスピアンへの向き合い方に潜む深いズレがあったのではないでしょうか。

プリンセスたちは「女の子の夢の国」を守る者として戦い続けていますが、すみれが守ろうとしているのは――?

「夢」と「現実」の境界線を揺さぶる、静かで挑発的な一話だったと感じました。

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図書館で起きた空気の変化|笑顔が消えた瞬間

図書館でのすみれは、最初こそ穏やかでした。

アリスピアンに慕われる彼女の姿は、みなもから「家族みたい」「お姉ちゃんみたい」と評されるほど、優しさに満ちて見えます。

しかし、かがりが司書のカメオさんから読み聞かせを勧められ、「私はそういうの、上手じゃないので……」とやんわり断った瞬間、すみれの笑顔がすっと消えます。

すみれの逆鱗に触れた瞬間|「与えるだけの関わり」への嫌悪

すみれの逆鱗に触れたのは、かがりの断りの言葉そのものではありません。

プリンセスたちがアリスピアンに歌やダンスの「レッスン」を行いながら、同時に司書の勧める読み聞かせのような、相手と時間を共にし声を交わす行為を拒む在り方ではないでしょうか。

だとすれば、それはすみれにとって、表面的な関わり方に見えます。

表向きに親切を施し「守る側」を演じながら、深い対話や主体としての尊重を避ける態度。

しかも彼女は、元アリスピアンのバンド・スナッチがアリスピアを救うために行動していたこと、そして彼らがプリンセスによって排除されたことを知っているはずです。

だからこそ、表面的な「優しさ」と、実際に力を行使してきた事実との間に強い違和感と不信感を抱いたのではないでしょうか。

そう仮定すると、「みなさんもじゃないんですか?アリスピアンと仲がいいのは」というすみれの台詞が、痛烈な揶揄のように響きます。

力の非対称性|「与える側」と「与えられる側」の関係

さらに重要なのは、力の非対称性です。

みなもたちの「レッスン」は、「自分たちの『楽しい』をアリスピアンと共有したい」いう純粋なものです。

しかし、人間の少女はアリスピアがなくても生きられる一方で、アリスピアンは少女たちから与えられる「元気」を失えば生態や営みがどうなるか不明――

その構造が「与える側/与えられる側」という力の勾配を生み、知らず知らずに上から目線の関係を作ってしまう。

すみれはその微かな「傾き」を感じ取り、怒りを覚えたのかもしれません。

つまり彼女の怒りは、表面的な善意の裏に隠れた無頓着さと、それが生む被支配的な関係性に向けられていたのではないでしょうか。

同族嫌悪としての怒り|「守ってあげたい」の裏側

しかし、すみれ自身も「与える側」であり、プリンセスたちと同様の構図を内包しています。

言い換えれば、すみれの「守ってあげたい」は無自覚な上から目線と表裏一体です。

そう考えると、すみれの怒りは単なる他者への苛立ちではありません。

自分の抱える「与える側としての独善」を他者の中に見出した結果ともいえるでしょう。

つまり――これは他人に向けた怒りではなく、すみれ自身の中にある「同族嫌悪」だったのではないでしょうか。

素顔のままで|「夢の守護者」と「現実の観測者」の境界で

「私は私のまま、素顔のままで、あなたたちプリンセスと向かい合います!」

すみれがそう宣言して花の騎士シンシアへと変身する瞬間は、28話を象徴するシーンです。

言葉は素顔を強調しているのに、次の瞬間には無貌の異形へと姿を変える。

この矛盾的な演出が、彼女の立ち位置を端的に示しているように思えます。

なぜ素顔であることを掲げたのか

すみれの「素顔で向き合う」という宣言は、単なる正体の告白以上の意味を帯びていました。

ここで重要なのは、彼女が脱ごうとしたのは15話で見せたような「プリンセス的な理想の顔」だった、という点です。

しかし、その仮面を剥がした先に残っていたのは、はっきりとした素顔ではなく――むしろ「顔が見えない空白」でした。

理想を否定することでプリンセスへの依存や偽善を断ち切ろうとした結果、自分自身の確固たる輪郭(=個人としての顔)まで失ってしまった、という悲劇的な構図がここにはあります。

だからこそ「素顔だ」と宣言しつつ、変身後のシンシアが目や口のない異形として現れるのは皮肉的なのです。

彼女は仮面を脱いだ――しかし脱いだ先にあるべき「本当の自分」が見えず、代わりに空白(喪失)が露呈している。

この読みは現時点での解釈に過ぎませんが、すみれの決意表明が単なる策略や演出ではなく、自己の喪失と痛みに根ざした行為として読める理由はここにあると思います。

対立はイデオロギーの差異か、それとも方法論の違いか

重要なのは、この対立がすなわち「善悪の二分」ではない点です。

プリンセスたちもアリスピアンを大切に思っているし、「守る」こと自体に善意はあります。

しかし問題は、守る方法や守る相手の捉え方における視野の差です。

すみれは「アリスピアンの主体性」を重視し、プリンセス側は「少女たちの自己実現の場」を重視している──そのズレが摩擦を生んでいるのだと読むのが、現状では最も穏当です。

まとめ|素顔の宣言が切り開く次なる段階

すみれが自ら正体を明かした第28話は、物語全体における「決裂の幕開け」を告げる回でした。

図書館での小さなすれ違いから読み取れるのは、人間の少女とアリスピアンの間に横たわる「見えない断絶」です。

すみれの怒りは、プリンセスたちの無自覚な優位性――「守る者」としての視点の偏りに対する反発だったのでしょう。

しかし彼女自身もまた、その構造の中に組み込まれていることに気づいていない。

「素顔のままで」というタイトルは、そんな矛盾を抱えたすみれ自身の宣言であり、これから始まる「理想と現実の対話編」への扉なのかもしれません。

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