プリンセッション・オーケストラ第20話感想|悪と正義、その狭間で揺れるベス

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第20話では、赤の女王の忠実な騎士・ベスとプリンセス・ミーティアがついに正面衝突しました。

「悪」と呼ばれたことに激昂するベスと、それに真っ向から反論するミーティア――

ふたりのやりとりは、単なる戦闘を超えて「正義」と「悪」の価値観そのものを問う場面となりました。

さらに物語の終盤では、アリスピアの闇を示唆するやりとりも描かれ、世界の成り立ちに新たな謎が投げかけられます。

本記事では、ベスの内面に潜む矛盾や、女王との関係、そして19話で提示された「自由」との対比を通して、第20話が持つ深いテーマ性を振り返っていきます。

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「悪」と呼ばれることの屈辱

第20話は、ベスとプリンセス・ミーティアの直接対決が大きな見どころでした。

これまで以上に、戦闘が「正義」と「悪」という価値観のぶつかり合いとして描かれたのが印象的です。

特に、ミーティアの「悪」という一言にベスが激昂する場面は、ただのアクションシーンではなく、キャラクター同士の信念が真正面から衝突する瞬間でした。

「悪」と断じられたその時

物語の転機となったのは、ミーティアが戦闘中に放った台詞でした。

「こんなんに負けてらんないんだよ! あんたたちみたいな悪いやつらから、アリスピアを守らなきゃならないんだから!」

この言葉に、ベスは表情を一変させます。

「プリンセス・ミーティア。お前はいま、私たちを悪と言ったか?」

ここからのベスは、普段の落ち着きすら失ったように激しく問いを投げかけます。

「ならば問おう。お前たちが正義だとなぜ言い切れる?」

「我々にとってはお前たちこそが目的の障害となる悪そのものだ」

「誰かの正義は誰かの悪だ。逆も同じことが言える」

「我々は正義に基づいて行動している。ならば、それに敵対しているお前たちは悪だろう!?」

「お前たちの正義は我々の正義より正しいのか!?」

これは単なる挑発ではなく、ベスの信念そのものから出た言葉です。

赤の女王の掲げる理念を全面的に肯定し、それを自分の正義として抱きしめているからこそ、彼にとって「悪」と断じられることは最大級の侮辱となるのです。

ミーティアの反論|大切なものを奪う「正義」への否

対してミーティアは、知識や理屈で答えようとはしませんでした。

「何が正しくて、何が悪いかなんて、あたし、おバカだから答えられないよ。でもね!これだけは言える!あんたたちのやってきたことは、誰かの、ささやかだけど大切な何かを奪うことだよ!」

引用元:プリンセッション・オーケストラ第20話

続けて、奪われた人の心に生じる「理由の分からない喪失感」「悲しみ」に触れ、ベスの正義を真っ向から否定します。

ここで重要なのは、ミーティアが「抽象的な正義論」ではなく、自身が奪われた被害者でもある立場から「体験としての痛み」を訴えている点です。

彼女の言葉は論理的に整ってはいなくとも、ベスの心に突き刺さる説得力を持っていました。

反論できなかったベスの沈黙

ベスは「小娘が。よくも知った風な口を利く」と吐き捨てますが、その直後に攻撃を再開しただけで、反論を口にすることはありませんでした。

この沈黙は、彼が論破されたというよりも、心の奥底で「自分たちは加害者である」という事実を否応なく突きつけられたからではないでしょうか。

つまり、「悪と呼ばれた屈辱」と「正義を信じたい心」との板挟みです。

外からの糾弾と、内にある矛盾。

ふたつの痛みがベスを突き刺し、彼を一層強情に戦いへと駆り立てた――そんな場面だったように思えます。

女王との関係|全肯定の忠誠と、その裏にある不安

ベスの「正義」への執着は、主人である赤の女王との関係抜きには語れません。

今回の出撃前、女王はベスに「わらわは正しきことをしている」「正義はわらわにこそある」と念を押すように語りかけました。

それに対してベスは、まるで自らの存在価値を全肯定されたかのように、笑顔で「そうです」と応じています。

このやり取りは、一見すると忠誠心に満ちた主従の信頼関係ですが、よく見ると微妙な影が差しています。

女王の口元は浮かない表情を見せており、心から納得しているとは言い難い。

その姿からは、彼女自身も自らの「正義」が揺らいでいるのではないか、あるいは信頼する部下に確かめることで自身を支えているのではないか、そんな不安が垣間見えます。

一方ベスにとって、女王の言葉は自らの信念を補強する最後の支えです。

だからこそ「悪」と呼ばれることに強く反応し、ミーティアに対して過剰なまでに言い募ったのでしょう。

彼は女王の正義を自らの正義として盲目的に信じ込むことで、自分の戦いに意味を与えているのです。

ベスの戦い方に見えるためらい

今回の戦闘で特に目立ったのは、ベスが遠距離攻撃を主体にしていたことです。

過去にはプリンセス・ジールを片手でいなしてみせる場面もあったため、彼は徒手空拳でも十分に戦える力を持っていると推測されます。

それにもかかわらず、今回はあえて距離をとった戦い方に終始していた。

これは偶然ではなく、意図的なものであるように思われます。

考えられる理由のひとつは、彼が「直接的に相手を傷つける行為」に抵抗を抱いているのではないか、ということです。

ベスは自称「優しさ自慢」であり、事実、20話までの時点では敵ながらアリスピアンに気遣いを見せている唯一の存在です。

その性格から考えると、正面から肉体的に相手を叩き伏せるよりも、あくまで距離を置いた攻撃で戦況を作ろうとする姿は、彼の内面の優しさと矛盾を反映しているのかもしれません。

ベスは「敵である以上戦わなければならない」という役割意識と、「無用に傷つけたくない」という本心の狭間で揺れているのではないでしょうか。

アリスピアの闇への示唆|ドランとの会話が意味するもの

20話終盤、帰還したベスとドランの会話は、これまで語られてこなかったアリスピアの闇を示唆するものでした。

このやりとりから見えてくるのは、赤の女王たちが単なる「悪役」ではなく、アリスピアそのものの成り立ちや秩序に深く関わっている可能性です。

もしそうなら、女王たちの行動は単なる侵略や破壊ではなく、むしろ世界を維持するための「必要悪」として描かれているのかもしれません。

19話で描かれた「自由」との対比

ここで思い出されるのが、19話で語られた「自由」のテーマです。

ジールが語ったのは、まさに「他者の自由を侵害しない限りでの自己決定」という近代的な自由観で、個人の尊厳を守ることに重きが置かれていました。

しかし、20話で暗示されたのは、その理想とは裏腹に「世界を守るためには誰かが闇を背負い、犠牲を受け入れなければならない」という現実です。

功利主義的な「正義」の影

哲学的に整理すれば、この「全体の利益を守るために少数が犠牲になる」考え方は功利主義的な発想に近いでしょう。

赤の女王の正義がそこに基づいているのだとすれば、プリンセスたちの「個人の大切なものを守る正義」と、女王たちが担う「全体を背負う正義」という、ふたつの価値観が対立していることになります。

この構図から、19話と20話が対比的に描かれていることが見えてきます。

前者は「自由」の理想を描き、後者は「功利主義的な正義」の影を提示する。

両者を並べることで、物語は単なる勧善懲悪にとどまらず、「自由と正義はいかに両立するのか」という問いを観る者に投げかけているのです。

まとめ

第20話は、ベスというキャラクターの信念や矛盾を掘り下げつつ、「正義」と「悪」というテーマを物語の中心に据えた重要な回でした。

ミーティアの言葉は論理を超えて相手の心を揺さぶり、ベスは忠誠と信念の板挟みで苦悩を深める。

そこに赤の女王やアリスピアの闇が絡むことで、単なる敵味方の構図を超えた奥行きが示されました。

また、19話で描かれた「自由」と、20話で浮かび上がった「功利主義的な正義」との対比は、物語がいよいよ哲学的な問いへと踏み込んでいることを感じさせます。

勧善懲悪に収まらない「プリンセッション・オーケストラ」だからこそ描ける葛藤と対立が、今後どのように決着を迎えるのか。

次回以降の展開にますます期待が高まります。

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