第19話は、プリンセス・ジール(かがり)とバンド・スナッチのギータが「自由」をめぐって激しく衝突する回となりました。
戦闘面では、第17話の再戦色が強く、赤の女王に力を解放されたギータの超スピードに翻弄されるプリンセスたち。
ジールは、はやての歌のカケラを使ってそのスピードを凌駕し、力強く立ち向かいます。
しかし今回の真価はアクションの勝敗ではなく、ふたりの口から語られた「自由」の定義にあります。
ジールが放つ「他者を尊重してこそ成立する自由」という正論は哲学的に美しい響きを持つ一方で、ギータの「奪われた自由」という切実な叫びとは交わることがなく、独特のもやもやを残しました。
本記事では、その「正論と切実さのすれ違い」に焦点を当て、物語が描こうとした「自由のかたち」を読み解いていきます。
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ジールの正論とその美しさ |『自由論』が響いた瞬間
第19話でもっとも心に残るシーンのひとつは、ジールがギータに対して放った宣言でした。
自由というのはね、他人の自由を尊重してこそ初めて許されるの。あなたの自由は他人を追い詰める。それはただの一方的な侵略行為よ!
引用元:プリンセッション・オーケストラ第19話
これは、19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルが『自由論』で語った有名な原理に通じています。
人は無制限に振る舞えるわけではなく、他者を害さない限りで初めて「自由」と呼べる。
倫理的に美しく、完璧な定義です。
しかし同時に、この正論はあまりに完成されすぎていて、どこか釈然としない感覚を残しました。
正しいのは分かる。でも、なんだか腑に落ちない──そのもやもやはどこから来るのでしょうか。
かがりにとっての「自由」|豪奢な檻から解き放たれること
その違和感を理解するには、かがりの過去が重要です。
父は一流の振付師、母は世界的なオペラ歌手。
裕福で華やかな家庭に育ちながらも、かがりは子ども時代に孤独を抱えていました。
周囲の子供たちから浮き、どこか壁を感じてしまう。
しかし、ここで重要なのは、かがりが抑圧を受けていたわけではないということです。
彼女が自由を奪われていたのは、外的な強制や暴力によってではなく、むしろ「有名人の娘」という境遇から自分自身が壁を作り、心を閉ざしていたことに由来します。
そんな彼女を救ったのがアリスピアでした。
そこでは両親の肩書きも家柄も関係なく、ただ「かがり」というひとりの女の子として見てもらえた。
その経験が、彼女にとっての「自由」の始まりでした。
つまり、かがりの自由体験は「他者から解放される」ものではなく、「自分の内なる壁を解き放つ」ものだったのです。
この差異こそが、彼女の自由論の空虚さを生み出しています。
正論ではあるが、その背後に切実な経験の厚みが欠けているのです。
ギータの叫びの切実さ |「自由」を奪うのは誰か?
オレだって自由に振る舞っていいだろうが#プリオケ pic.twitter.com/1mxDbtHSgH
— 「プリンセッション・オーケストラ」公式 (プリオケ) (@priorche_info) August 19, 2025
「誰もが自由に羽ばたけるアリスピアをあなたたちから守るのだから!」というジールの決意に対してギータは激昂します。
今、「自由」とか抜かしたか? なら!オレだって自由に振る舞っていいだろうが! お前らとオレたち、一体何が違うってんだよ!いつも好き勝手この世界で遊んでるお前らが、俺たちの自由を否定すんなよ!
引用元:プリンセッション・オーケストラ第19話
ギータは、第9話でもリップルの「あれがよくて、これがだめなんて、他人が決めることじゃない! みんなが生きるこのアリスピアに無駄なことなんて、ひとつもないんだから!」という台詞に、怒りを露わにしていました。
これらのことからギータは、ジールやリップルの語る「誰もが」「みんなが」に自分たちが含まれていない――アリスピア社会から排斥されている、と感じていると推測できます。
ここには彼の切実な怒りが滲んでいます。
ミル的な自由論からすれば、ギータの言葉は間違っています。他者を追い詰める自由など肯定できるはずがないからです。
しかし、彼にとっては異世界からやって来る少女たちこそが、自分の居場所や自由を脅かす存在です。
だからこそジールの正論は、正しければ正しいほど、ギータの心を逆撫でする。
普遍と切実のすれ違い |理念と痛みの交錯点
ここで浮かび上がるのは、「普遍的な自由」と「切実な自由」のずれです。
- ジールは、誰もが平等に羽ばたけるアリスピアを守るために、普遍的な理念を語る
- ギータは、自分たちの自由を奪われていると感じる切実さから、反発する
私がジールの言葉にモヤモヤを覚えるのは、この「正論と切実さ」の非対称性に原因があります。
彼女は自分の過去を通して自由を語っているように見えながら、実際には普遍的理念に依拠しているため、その言葉はやや浮いてしまいます。
ジールの正論は普遍的に正しい。
けれど、その正論は、現在のアリスピアから零れ落ちた者の切実な痛みを拾い上げることができない。
その非対称性が、私に「正しいのに、釈然としない」という感覚を残したのです。
まとめ|正しい自由と切実な自由をつなげるために
第19話が示したのは、正論と共感の間のギャップでした。
ジールは自らの経験から「自由とは尊重し合うことだ」と語ります。
しかし、その自由はあくまで自分の物語に基づく理念であり、ギータの「生の痛み」には触れていません。
正論は美しく響いても、それだけでは人の心を動かせない。
切実な自由をどう受け止めるか──それこそが、ジールに課せられた次なる試練なのかもしれません。
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